フリーランスで生きる人に出会ったせいで人生が大きく狂った2017年。

2017年は、今まで生きてきた中で一番に大きな決断をした年でした。

この一年ほど自分の将来を考えてた年はなかったし、孤独、喜び、気づきを感じた年もなかった。

頑固な自分が1年で自分の方向性が2転3転するほど、多くの生き方に触れた。

 

そんな1年をずらずらと書いてみる。文章も文脈も適当。

思ったこと振り返りをずらずらと。

初めて将来を真剣に考え行動を起こした冬

就職することが嫌で仕方なかった。

1年前の就職活動。「社会や会社は理不尽である。」ということ5歳年上の兄や部活の先輩から伝えられた。

会社で働くなんてもともと理不尽という印象しかなかったし、そこまで期待はしていなかったが、これから半年間も自分の気持ちを騙して、そんな理不尽な世界へ頭を下げて「御社が第一志望です。御社入りたい理由は〜〜」とエントリーシートを書き、面接で自分を偽ることを想像すると、いてもたってもいられなくなった。

かといって、「これ!!!」というほどやりたことはなかった。

だからありきたりだが『旅』にいってみたいと思った。現実逃避だが『旅し続けて行きたい。』と思った。

 

「旅したい!」と考え、行動した。

旅をしたいと思ってからの行動はとっても早かった。

旅にはお金が必要だ。

 

思い浮かんだ方法は2つ。

【旅に行く前に稼ぎ切る】か【旅しながら稼ぐ】かだ。

 

旅する前に稼ぎ切るというと、アルバイトでめちゃくちゃ働くということになりそうだが、それではただ時間をお金に変えただけ。旅しながらお金を気にしなければならないし、旅が楽しめなそうだ。それは嫌だ。

せっかくやるなら、旅しながらでも稼げる”スキル”が欲しいと思った。

時間の切り売りではなくスキルさえあれば、スキルを高めて自分の単位時間の価値を上げることもできるし、そのスキルを売り物にすることが出来る。

 

そこで出会ったのが、安く輸入して高く国内でものを売るという輸入ビジネスだった。

見つけてから1時間後、気持ち半分うまく行くのか?と思いつつも、絶対に上手く行くと自分を騙して没頭した。

修士論文の中間発表、就活の合間を縫ってだったが、できる時間全てを投資した。大好きな漫画、飲み会、色々と絶った。

全ては『旅に行く』ために。

 

結果、3ヶ月目で月40万円稼げた。

 

準備は整った。旅に行くための大学院を休学し始めた。

ブログを書き始め情報の発信者側になった春

旅に行く前に独立の体制を整えようと方向転換

休学という名を使っているが、休学を終えた先に大学に戻ろうなんて気持ちはなかった。

旅した後の自分の気持ちに忠実に進もうと思っていた。その時に選択肢にあげられるものは、もちろん『就職』ではなく『独立』の可能性が高い。

輸入だけでもある程度やっていけそうだが、そこは自営業。いい時もあれば悪い時もあるものだ。収入源が1つでは心もとない。

そこで 旅に行く前に収入の柱を2つにしようと考えた。身につけたスキルを売り物にして行くことを決めた。

収入の柱が2本になった。

情報の発信媒体は、このブログとYoutube。それまでやってきたビジネスの過程、考え方などを全て記事にして無料で公開した。販売しているのはコンサルティング。

書き始めて3ヶ月後。徐々にクライアントが集まり、収益が出るようになってきた。また、輸入業を行っている株式法人からもコンサル依頼がきた。

 

収入の柱が2本になったことをきっかけに、とうとう旅に出る。

旅を通じて人生観ぶっ壊れた夏

旅に出て自分の中の当たり前はかなり変わった。本当に色々あったが、ここには書ききれないので、印象的な体験と感じたことを書く。(長いので飛ばしてさらっと読んでいただきたい。)

家族がいれば幸せなフィリピン人

フィリピンでは半分は語学学校に通い、半分は色々な土地を回った。

物価は日本の半分。語学学校の先生の時給は200円。

出会ったフィリピン人のほとんどは、日本で言われる貧困と呼ばれる層の人だ。

 

でも学校での先生、ホームステイさせていただいたスーパーの販売員・美しい海沿いで隙間だらけの木の家に住んでいる漁師。日本の3倍くらいは笑顔に溢れていたと思う。

印象的だったのは、「生活は大変そうだけど、幸せそうだね。」と聞いた時に「だって家族がいるから。子供がいるから毎日楽しい。」と語り、家庭を最優先に行動していたこと。

 

フィリピンでは夜に家族と過ごす時間が、本当に大切にされている。学校の先生なんかは、授業が中途半端でも17時になれば「また明日。」と即帰宅するし、子供が風邪を引けば絶対に休む。週末のことを聞けば、「週末は家族と〜〜。」と必ず返ってくる。

フィリピンの滞在を通じて自分の中の、家族・家庭に対する優先順位が格段に上がった。

 

ちなみにフィリピンでは、結婚しても子供がいないと「愛人」と呼ばれ、子供ができて初めて「家庭」と呼ばれる。

 

財産100円しかないのに100円あげちゃうフィジー人

フィジーでも学校半分、ホームステイ半分で行った。フィジーは「過去に幸福度調査でNo.1」に選ばれた国だ。

 

印象的だったのは、フィジアンは『所有』という概念がない。それはお金でさえも。

 

これを感じたのは、フィジーの離島で国内一の海があると言われるヤサワ半島に行こうとした時の話だ。

島に行くまでには、普通のルートで行くと安くても船で往復5万円、ホテルに泊まるに1泊1万円はかかる。滞在予算を考えると、島に行って返ってくるだけで終わってしまう。

なので島へ食料を運ぶ船に乗って格安で行こうと、船着場を港町で聞き込みをしていた。

 

1人の人が港まで案内してくれることになった。ミチという自給自足をしている男性だ。フィジー人は約80%が農作民なので、自給自足は当たり前。

もともと超フレンドリーで、親切だということは知っていたが、ミチは港に案内してくれるまでに、ごくごく普通の100円のアイスを奢ってくれた。奢ってくれた後のミチの顔は本当に満足気な顔をしていた。

そして港に着いた後、家に招いてくれて夕食をご馳走になることになった。

 

道を教えてくれ、アイスを奢ってもらい、夕食までご馳走してくれるなんて、なんて親切なんだと思いながらも家に向かう道で、ミチから衝撃的な言葉を受けた。

 

ミチ「さっきのアイスでお金がなくなったから、夕食代を助けてくれ。」

 

やす「・・・。お金ないの?」

 

ミチ「さっきのアイスで全部使っちゃった。」

 

この後、僕は500円分の夕飯の食材と朝食を買ったわけなのですが、夕食をふるまってくれる彼とは「美味しい!」という言うたびに、ハイタッチしてあほみたいに喜んでくれた。

 

ここで学んだこと。

「フィジー人は他人に喜ばれるのが大好きで、幸せになるためには人に何かを与えることが大切らしい。」

フィジー滞在で、人にもっと何かを与えられる人になりたいと思った。

旅をよりよくするために語学の習得と3本目の収入の柱を作った秋

もっと深くコミュニケーションを取れるようになるためにシェアハウスへ

もっともっと旅したという気持ちが強くなった夏だったが、資金的もさることながら英語でのコミュニケーションをもっと勉強したいと思い、英語が使えるシェアハウスに住み始めた。

旅をしていて、気が合いそうな人と出会いもっと深くまで喋りたいと思っても、表現やリスニング力不足で深くまで喋ることができない自分がいたからだ。

劇的ではないが、一歩一歩着実に前進んでいる。

資金面での憂いを消すことを求めて外注化と3本目の柱を作る

資金面での不安はまだ強い。

特にビジネスに取り組んでいる時間を短くしつつ、規模を拡大して旅の資金を安定して増やしていきたいと考え、クラウドワークスから10人程度の外注さんに手伝ってもらうことになった。

それを元に仕入れ元の国と、販売先のサイトを増やして、12月に月収13万円程度を生み出すことに成功し、3本目の柱を構築。今に至る。

2018年にしてみたいこと

 

ダラダラと書いていきましたが、2017年はこんな感じ。

 

こんな1年を踏まえて2018年は、ざっくり以下のようなことをしていきたい。

  • 輸入業において、オリジナルブランド商品の作成。
  • 輸入業これだけで旅できるだけの資金を外注さんのみで作れるような仕組みづくり。
  • コンサルティング業で一緒に旅できる人を最低1人は生み出す。
  • 旅を収益化できるような方法を確立する。(動画や写真コンテンツの販売・広告収入等。)
  • スポーツをしている人に何かしらの価値提供をしたい。(マッサージやコンディショニングを習いたい。一緒に筋トレするコミュニュティを育てたい。)

 

稼ぎ続ける仕組みを作っていき、26歳以降の年は自分の大好きな旅とスポーツに全力で時間を使い、人に何かを与えられるようになっていきたい。また新しい人生観を旅しつつ手に入れたい。それが今思っていることです。